「ミット持ちの教科書」

 

 「ミット持ち」について、技術・知識もなく見よう真似ようで受けている私は、相手の突・蹴の勢いに負けて、自分の持っているミットが顔面に当たったり眼鏡が飛んだりして非常に痛い思いをしたり、ミットを上手く操れないために自分の腕や肩を痛めてしまうことがある。

 反対に、ミットを突いたり蹴ったりする側も、ミットを持ってくれる者のミット処理の優劣によって手や足を痛めたりするし、突蹴した側としてはいい突蹴をしたハズなのにミットからはいい音が返ってこないなど、まぁちょっと気分を害することもある。

 

 護身術としての少林寺拳法を考えると、どんな時にも有効に突・蹴を極めることができるような技量を身につけたいが、その修練方法として、まさか生身の人間である仲間を相手に、本当に突・蹴を入れる(極める)わけにはいかない。

 となれば、やはり他の格闘技の練習のようにミットを持ってもらい、それに対して突・蹴の修練を行う方法になるのだが、少林寺拳法が「格闘競技」ではないこともあり、キックボクシング等のトレーナーようにミット持ち技術に長けた人はそうそうはいないし、「ミット持ち」を技術としてと学ぶ機会・講習もないため、ほとんどの人は自己流でお茶を濁していると思う。

 

 そんなジレンマを持っていた中、道院長が「ミット持ちの教科書」(ベースボールマガジン社/1800円)という本を入手してくれた。

おそらく道院長は我々の「ミット持ち」の未熟さを感じていたのではと思われる。 ...スミマセン(汗)

 

 今、横浜矢部道院の拳士みんなで、正に本のタイトルどおり、この本を「教科書」として「ミット持ち」技術の修得・向上に取り組んでいる。

 そして、これを学んでいるうちに、おそらく拳士の誰もが感じたであろうことが一つ。

この「ミット持ち」を上手くなろうと取り組んでいると、少林寺拳法の教え、特に『組手主体』『自他共楽』の相手を思いあう精神の「心持ち」に通じると感じてくる。

 

 

 今回は、「ミット持ち」を「技術」として「心持ち」としてしっかりと修得したいと感じたのでご紹介をさせていただきました。

 

※著作権等の関係もありますので表紙のみのご紹介です。

 この本、記事中の写真がせめてポイントとなるところだけでもカラーだったらもっとよかったかなぁ...。 (感想です